フジハラさんと僕(15)/120924

 マンションの駐車場で運転席を下りたフジハラは、助手席のほうへ回ってきた。ドアを開けると腰をかがめ、史緒に丸まった背中を見せる。
「裸足じゃ痛いだろ。乗りな」
 寄る辺のない迷子のような気分を引き摺った史緒は、素直にフジハラに負ぶさった。エレベーターで五階に上がり、一番奥の部屋。フジハラはテンキーを操作してドアを開けた。
(フジハラさんの空気だ)
 半月ぶりのその場所を懐かしく感じる。僭越なことだと思う理性とは裏腹に、本能が安堵していた。
 帰ってきたのだ。
「よ、っと」
 フジハラが身を揺すって史緒を支え直す。鎖がしゃらしゃらと鳴った。それを横目で見ながら、フジハラは史緒をリビングのソファへ降ろした。
「待ってろ」
 言い残して浴室へ消える。リビングの隅には史緒の寝具が畳まれていた。布団のうえにはフジハラが買ってくれた服もある。専用にして貰ったマグもだ。
(僕のものが、残ってる)
「シーオ、きょろきょろする前に足」
「え」
 汚れているため床に着かないよう注意していた足を、いきなり掴まれる。
「わ、わ、自分でやります……!」
「いいから」
 フジハラは湯で絞ったタオルで足裏を拭ってくれた。くすぐったさとうしろめたさ、器用な指の心地良さが混然とする。目を回しているうちに事は済んでしまった。
「よし。あとは、これだな」
 フジハラは二本のヘアピンを取り出した。手錠の嵌った左足が、あぐらをかいたフジハラの膝に引き寄せられる。踏みつけにしているようで落ち着かない。
「あの、足、上げさせて下さい」
「大人しくしてろって」
 フジハラはヘアピンを変形させると、手錠の鍵穴に差し込んだ。一本は鍵を回す方向に力を込め、もう一本は内側を擦るように動かす。しばらく繰り返すうちに、かしゃりと何かがかみ合った。フジハラが輪を開く。手錠はあっけなく外れて落ちた。
「はい、お終い」
 フジハラは種も仕掛けもないというように両手を広げて見せた。
「フジハラさん」
 これで、本当に、自由だった。
「フジハラさん……っ」
 史緒はソファの上からフジハラの腕のなかに転がり込んだ。差し伸べられた手に抗う気は起きなかった。
「……っ、言っても、いいですか」
 ごく小さな声で訊いたそれは、どうにか届いたらしい。
「そういう約束だろ」
 フジハラも囁きで応えた。
 ――ただいま。
「おかえり」
 つり上がった眦が緩む様を好ましいと思う。皮肉っぽい、なのに冷たくない。固すぎず柔らかすぎず、史緒を受け止めてくれる。
 このひとに会いたかった。
「シーオ」
 人差し指で、ふにゃりと頬を突かれる。はい、が発音できず、あい、と舌足らずな返事になった。
「もうひとつ、約束。『なんで』の答えは今夜会えたら教えてやる、って言ったよな」
「!」
 意地の悪い切り出し方だった。そのときのことを思い出したら今の体勢も妙に意識されてしまい、史緒は茹で蛸になる。
「一言で済ませてもいいんだけどな」
 からかわれるかと思った。けれども軽口は飛んで来なかった。
「全部話した方が、お前も信じやすいと思うんだ」
「全部って……?」
 俺がお前の歳くらい頃の話から、と言われて史緒は驚いた。そんなに根が深い話に繋がるのか。
「まだ眠くないか」
 微睡んでいないか確かめるように、フジハラの指が史緒の前髪を梳く。史緒はこっくりと頷く。
「じゃあ長い話になるけど、聞いてくれ」
「はい」
 フジハラは人差し指をぴんと立てた。
「さて問題です」
 教師然として問うてくる。
「俺の両親は、どこにいるでしょう」
 どこに。
 フジハラは変わらず笑っていた。史緒はそこに漂う不吉の匂いを嗅ぎ取ってしまった。一人暮らしには広過ぎる住居の意味。思わずフジハラの人差し指を見た。天を指し示す指の横で、フジハラははい正解、と呟いた。
「そう。お空の上」
 どんな顔をしていいか分からなかった。




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