嫉妬/121223


 ただいま、と声を掛けたのに応答が無かった。リビングも真っ暗だ。フジハラは首を傾げた。
(出掛けてる……って訳でもない)
 たたきには史緒の靴が揃えてある。同居人は在宅ではあるようだ。
「シオ?」
 ビジネスシューズを脱いで家に上がる。名前を呼んでも室内は静まりかえったままだ。けれども、自分の寝室に――元は両親の寝室だった部屋に――明かりが灯っているのを見つけた途端、フジハラは腑に落ちてしまった。
 そっと扉を開ける。史緒はやはり、その部屋にいた。本棚の前でひざまずいて微動だにしない。フジハラは小さく笑った。身に覚えがありすぎる光景だった。
(読み出すと、不思議と周りの音が聞こえなくなるんだよなあ)
 薄暗かろうが腹が減ろうが、興に乗り始めた本読みは頓着しない。電気がついているだけ奇跡だ。
「シーオ」
 小声で呼んでみる。史緒は動かない。ページをめくる音だけが密やかに響く。
 フジハラは忍び足で史緒の背中に近付いた。
(成程、この本は本当に面白いんだよなあ)
 本棚にある書籍はフジハラが集めたものだ。このところ、史緒は少しずつフジハラの蔵書を読み崩している。読書の趣味が元々近いのだ。どれも好意的な感想を話し合えることが楽しかった。
 生真面目に文字を追っていた史緒の表情が、不意に変わった。きゅっと眉を寄せ、息を呑む。
(あ)
 眦に溜まった滴がつるりと頬を滑った。
「シオ」
 フジハラは史緒の顎を捉え、涙の痕を舐め上げる。
「ひゃあっ?」
 史緒はばさばさと本を取り落とし、真っ赤になって振り向いた。
「ふじっ、フジハラさんっ」
 現状把握が上手く出来ていないらしい史緒を、どさくさ紛れで抱き寄せた。
「悪いな」
 柔らかい髪に指を差し入れて後頭部を撫でる。そのまま赤くなった耳を引っかくと、史緒の肩がひくりと震えた。
「盛り上がってるシーンで邪魔して」
 けれど我慢ならなかったのだ。あの涙が、フジハラのためではないところで流されていることが。
(そんなことにまで嫉妬するかねえ)
 我ながら重症だ。苦笑いが見られないように強く抱き締める。
「えっと。たぶん僕、言いそびれてますよね」
 胸板に押しつけられたままの声はくぐもって苦しそうだ。
「お帰りなさい」
 勝手なことをされたにも関わらず、史緒はほにゃんと相好を崩した。
 史緒はどこまで許すのだろう。怒ったっていいのに――遠からず、フジハラにくらいは怒ってくれるだろうか。
(そのくらい仲良くなりたいもんだ)
「好きだなあ」
「どどどどうしたんですか、急に」
 初喧嘩が楽しみだなんて、おかしな話だった。



(了)

*本編は終わったことだしただまったりらぶらぶしてて貰おうと思って書いたので何の捻りもありません。
*勝手ながら、お世話になったまほさんにお贈りしました。





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